新設:2012-10-14
更新:2024-10-12
はじめに
按針亭管理人が、66年前の昭和31年(1956)10月に、文語体訳詩「渡し場」に出会いながら、10年前の平成24年(2012)7月までは、詩文をノートに記し、自分で拙い節を付けて口ずさむといった、自分だけの殻に閉じこもっていた。
一方、その間に「渡し場」を語り継ぐことが、「渡し場」に魅せられた人々によって、それぞれの方法で進められていた。
以下、その一部分を、登場人物の敬称を全て省いて、紹介します。
なお、本「魅せられ語り継ぐ人々」ページを作成するに当たり「ウーラント同"窓"会」メンバーである松田昌幸の往時のサイト『ウーラント「渡し場」が世に出るまで』および丸山明好がまとめた『「渡し場」年譜』(非公開)を参照し、一部引用させていただきました。
次の方は、按針亭管理人宛に連絡頂ければ幸です。
1)「渡し場」を語り継いでいるのに、本ページに掲載されていない情報をお持ちの方
2)「渡し場」に、新たに/改めて、関心を寄せられた方
令和4年(2022)10月10日更新
「渡し場」に魅せられた時期・径路別リスト
氏名にカーソルを合わせたとき赤色文字となる方は、本サイト「按針亭」内の別ページにリンクし、それぞれ、「渡し場」の語り継ぎ状況を紹介します。
時期(西暦)
感化を受けた時期・経路・状況
「渡し場」に魅せられた人
1884-09~
1887-05
新渡戸稲造、アメリカ(ポプキンス大学)留学
[推定] 英訳詩で「渡し場」を知る
新渡戸稲造
1887-10~
1890-07
新渡戸稲造、ドイツ(ボン、ベルリン、ハレ)留学
1912-10
新渡戸稲造著『世渡りの道』
大正元年(1912)10月 實業之日本社刊
北澤種一
1913-05-27
一高基督教青年会の山岡望ら卒業予定者送別晩餐会に、同年4月22日に一高校長を辞任した新渡戸稲造が招かれ挨拶
山岡望
1913-05-28~
1916-07
一高基督教青年会OBとしての山岡望
太黒薫、吉田源三、上田穣
1913-08
實業之日本社刊 雑誌『少女の友』大正2年(1913)8月号掲載 北澤種一著「人(ひと)の情(こころ)」
長谷川香子、猪間驥一
1913-09
[推定] 一高基督教青年会の新入生歓迎会
難波準平
1916~1978
山岡望 第六高等学校、岡山大学など随所随時
1919年8月『向陵三年』上梓
1975年8月『六稜史筆』上梓
花田正夫、宮地正司、鶴田禎二、藤本昌利
1950
昭和25年(1950)中大予科卒業間際
難波準平講師のドイツ語最終授業
小出健
~1956
医学博士・病院長の某医師 [推定:太黒薫]
木村毅
1956-10
昭和31年(1956)10月7日発行『週刊朝日』記事
「詩 人生の『渡し場』 投書欄に咲いた心の花」
佐藤裕、中村喜一
〔担当記者:工藤宜〕
1956-10
雑誌『慈光』昭和31年(1956)10月号掲載
花田正夫著「心に映ることども」
小谷慈明
1956-10-27
句会の師・及川仙石
入村玲子
1963
雑誌『文芸春秋』昭和38年(1963)5月号
274~280頁
『渡し場の歌』物語 24行の詩に美しい曲がつくまで
堀愛子
高山幸生(オドール・ハウスマンが原詩に作曲した譜面で歌える訳詩作成に協力した)
1968
ウーラントの生地(ドイツのチュービンゲン)に滞在した1968年に「二人の友」「カール・レーヴェ作曲」などの情報を得た
早崎守俊
1973
昭和48年(1973)9月の朝日新聞(名古屋版)「声」欄への古田かね子の投書「「渡し場」の詩 教えて下さい」
池田敦子
〔担当記者:太田茂夫〕
1974
昭和49年(1974)3月30日にNHKラジオ第1放送「渡し場のメロディー」で、星野四郎が「渡し場」を介しての昭和31年(1956)以来の猪間驥一と桜丘高校(豊橋市)との交流を語り、ミーリッシュ作曲のメロディーが流された。
この放送録音を昭和51年(1976)4月19日
NHKラジオ第1「趣味の手帳」が再放送
松田昌幸
1975
昭和50年(1975)7月22日付朝日新聞(東京版)「声」欄 鎌倉在住医師・佐藤裕の投書「思い出の歌によみがえりを」
これは、猪間驥一による昭和31年(1956)の投書から19年後であったが、反響が大きく広がり、朝日新聞(東京版)は同9月15日に「投書を追って」欄で「”心の詩に”親しめる新曲を」の見出しを付けて、反響の一端を紹介
アルテンドルフ、友松悦子、橋本昇
〔担当記者:永山三郎〕
1986
昭和61年(1988)4月1日付朝日新聞(東京版)夕刊掲載「こころ」欄の「ハレーと心の詩…余話」
〔担当記者:外村民彦〕
1992-1994
東洋大学(白山校舎)図書館所蔵「レクラム文庫」の古い詩集に載った「Auf der Überfahrt」
三浦安子
2003
経済学者としての存在が忘れられた感がある猪間驥一を調べる中で、2003年9月、猪間驥一著『人生の渡し場』を通じてウーラント原作「渡し場」に出会った
和田みき子
2004-06
6月22日 松田昌幸から カール・レーヴェ作曲「渡し場」の楽譜探しを依頼された声楽家佐藤征一郎は、直ちに探し出し 楽譜を松田宅へ6月29日に届けた
佐藤征一郎
2004-10
北原文雄の平成16年(2004)10月刊 『向陵』42巻最終号に、”友を憶う詩「渡し場にて」をめぐって”と題した寄稿
朽津耕三、志田忠正、水野丈夫
2006
平成18年(2006)7月6日付朝日新聞(東京版)「窓」欄に、「渡しにはドラマがある」を掲載
この記事を契機に「ウーラント同“窓”会」が誕生
〔担当記者:高成田享〕
2011-05~
2012-10
M([推定]東京大学名誉教授水野丈夫)
武内清
2012
平成24年(2012)10月 Webサイト「按針亭」に「渡し場」紹介のサブサイト「友を想う詩! 渡し場」をウーラント同"窓"会の支援を得て開設
志田芳久、上野昌宏
2017
平成29年(2017)1~2月頃 北大東京同窓会発信の案内が 同会主催の3月度「エルム談話室」で『人生の渡し場』と題した松田昌幸の講演予定を掲載
釜澤克彦
2022
令和4年(2022)1月 声楽家佐藤征一郎から寄贈された ウーラント同“窓”会編『「渡し」にはドラマがあった』
櫻井利幸