友を想う詩! 渡し場
魅せられ語り継ぐ人々
新渡戸 稲造
新設:2012-10-14
更新:2024-12-01
ウーラント原作「渡し場」を語り継ぐ人々

にとべ いなぞう) 1862年(文久2年)~1933年(昭和8年)

新渡戸稲造全集第8巻、1970年教文館刊「世渡りの道」から、
「同情の修養」の一節、(333~334ページに掲載)

同情と親友に就て思ひ出さるゝのは、ウーランドの詩である。氏は独逸の政治家であると共に一代の大詩人で、六十余年前に最も持て囃された人である。氏の叔父に牧師になった人がある。又氏と同窓で法律を攻め、後に一年志願兵となり、ナポレオンの戦争で戦死した親友がある。氏がネッカル川を渡るとき、この親しき二人の死を想出して詠じた詩は、実に親友に対する熱情を披瀝したものである。

顧みれば数年前曾て一度この川を渡ったことがある。
河畔には当年の古城が依然として夕陽に聳えて居る。
河上にはヤナが昔と変らず淙々として響いて居る。
その時には我の外に二人の友が此の舟に座し共に此河を越えた。
一人は老人で静に世を渡り後ほど静に世を去った。
一人は血気熾(さかん)な青年で、嵐の中に身を処して遂に嵐の為に倒れた。
有りし当時を追懐すれば、何時も二人の面影が現はれる。而も此二人は死の手の為に我より裂かれたるものなるに……
否、否、我が二人と交りて、友よ、友よと親しんだ睦さは、肉の交りにあらざりし。心と心との友誼であった。魂と魂との交であった。
霊的親交なりし上は、ヨシ今肉体はあらなくも、尚親しみは変るまい。
オイ船頭、モ-舟が着いたの-。コレ、三人分の賃銭を払ふから納めて呉れ。
お前の目には見えなかったであらうが、客は我の外に尚二人あった。

親友に対する斯かる切なる情は、自然に磨かれて四囲の人々に対しても、温かき同情を表はすやうになる。その情は決して親しき二人に止まるものではない。ウーランドの心中を更に知らない船頭まで、その恩恵に浴する様なものである。

山岡柏郎(望)著「向陵三年」大正8年(1919)10月刊より
「橄欖」章のうち、「霞の如く」の節 (P294~P304)から抜粋
 <注>漢字は今日使われている字体に改めたが、仮名遣いは原文のまま

三年間の青年会の集まりは何れも思出深い尊いものであったが、殊に最後に開かれた我々の送別会は最尊く最意義深く最忘れがたいあつまりであった。

大正二年五月二十七日。恰度日本大海戦第八回の記念日の当日。近く一高を去らんとする吾々数名の為に送別会が開かれることになった。しかも今回は特に新渡戸先生の御臨席を願はふと云ふので、吾々は子供らがお正月を待ってゐる心持でその日の来るのを指折りかぞへて待って居った。

~中略~

上沼君に誘はれて今夜の会場なる本館の食堂へ急いで見ると、新渡戸先生の外套と帽子とが入口の所に既にかゝってゐた。もっと早く来れば善かったと思ひながら中に入ると先生は二三の者と楽しさうに話を交へてゐらっしゃった。

食堂の中央には数台の食卓を一列に並べて白布を被せてある。先生を一番上座に請じてわれわれ約二十名の者が各相対して居並んだ。開会に先って矢内原君が列座の面々を先生に御紹介申し上げると、先生は恰度お手許に出て居た名簿と引合はせて一人々々を覚えてゐらっしゃった。

会はまづ食事に始まる。先生と卓を同うして大きな丼を抱へながら蒲焼を味ふ。最後に真白な卓布の上に出て来た苺の赤い美しい色と形とが何とも云へぬ快よい感じを起させた。

委員芦野君の送別の辞、卒業生矢内原君の答辞のあった後、やゝ暫くあって新渡戸先生は獅子の如き如き雄躯を起して、「一寸御挨拶を!」
これぞ待ちに待った時間、天国へでも昇った様なうれしい心地になってわれらは耳を聳てた。

「君らの此の楽しさうな団欒(まどい)を見るにつけて思ひ出すことがある……」
とて先づ先生が初めて基督教を聞かれた時代のお話があった。十一歳の時秘露公使館員某の家で初めてこの気味の悪い聖書と云ふものを手にして偶然ヱリヱリラマサバクタニの頁を開いたといふ事や、明治天皇様の御下賜金の分前で羅紗の袋入の聖書を買ったと云ふ事などわれわれの耳には珍らしく又面白い昔語であった。

次に近頃二つの問題を持ってゐるといふ所から次の様なおはなしがあった。
「その一は自分が日本人平均以上の仕事をしてゐるか如何かといふ事。も一つは自分が幼時東京を去って北海道へ勉強に行ったのは幸であったらうか或は不幸であったらうかといふ事である。この後の方は確に幸福であったと思ってゐる。何となれば基督教を覚えたからである。もし東京に残ってゐたならば恐らくは今頃は高位高官の人になって居たかも知れぬ。けれども高位高官になって人の前には大きな顔をして出る事が出来ても、一人居る時は何となく怖ろしくて小さくしてゐなければならぬ様に成ってゐたであらうと思ふ。之に反して北海道へ行った為に、仮令人の前では小さくしてゐても一人居る時は何の怖るゝものも無く、唯拝すべき者を拝する他何者の前にも屈する事がない様になることが出来た。

この事ばかりでは無く北海道へ行ったのが幸福であったと云ふも一つの理由は友人を得たといふ事である。同じ信仰のもの同志、共に祈ったり或は代る代る牧師の真似をして所感を述べたりして居たものが七人許りあった。同級二十人の中(うち)学校を中止したものなどがあって、終には十一人になってしまったが、その中で此の七人は何れも成績の良い方であったから、他の者から色々嫉まれたり悪く思はれたりして居った。けれども此の嫉んだ人々は社会に出ても矢張り良い成績は取ってゐない様に思はれる。神に依って得た友人は最尊いものである。何ら利己心を挟む事なく全く吾を棄て、神を仰ぐ処の心と心とが相結ばれるからである。かゝる友人は学生時代でなければ得られない。世に出ると妻子の愛情や色々の世情に妨げられて友情を新に味ふ様な事はむづかしい。神に依って得た友人は実に一生涯の友人否永遠の友人である。

僕かねてウーランドの詩を愛誦して居るが、その中に Auf der Ueberfahrt と云ふのがある。これは Uhland が Rhein の支流の Necker 河を渡った時の渡江吟であるが、その辺りの山河自然、依としての昔のまゝなるに、昔二人の友達と三人で乗った此の舟の上には今の自分一人しか居ない。二人の中一人は既に穏かな老死を遂げ、一人はまだ若い生命を Freiheitskrieg に従軍して戦場の花と散らしてしまった。しかし自分には二人ながらまだ生きて居て、霊と霊とで今も尚話をし、又今現に此処を一所に渡りつゝある様に思はれる。さう思ってる中に舟が向岸に着いた。そこで船頭に三人分の船賃を払って立去ったといふ話である。近頃はあまり諳誦せぬから忘れてゐるかも知れないが……

Über diesen Strom vor Jahren
Bin ich einmal schon gefahren;
Hier die Burg im Abendsehimmer,
Drüben rauscht das Wehr wie immer.

Und von diesem Kahn umschlossen
Waren mit mir zween Genossen:
Ach, ein Freund, ein vatergleicher,
Und ein junger, hoffnungsreicher.

Jener wirkte still hienieden,
Und so ist er auch geschieden.
Dieser, brausend vor uns allen,
Ist in Kampf und Sturm gefallen.

So, wenn ich vergangner Tage,
Glücklicher, zu denken wage,
Muss ich stets Genossen missen,
Teure, die der Tod entrissen.

Doch, was alle Freundschaft bindet,
Ist, wenn Geist zu Geist sich findet;
Geistig waren jene Stunden,
Geistern bin ich noch verbunden.

Nimm nur, Fährmann, nimm die Miete,
Die ich gerne dreifach biete !
Zween, die mit mir überfahren,
Waren geistige Naturen.

何と云へばこの時の僕のうれしい感じを充分云ひ尽すことが出来やう。世界中のあらゆる国語のあらゆる形容詞をあつめて来ても、到底これを充分云ひ表はすことは出来まい。新渡戸先生の朗誦の声程僕の心の底の底から躍り上って我を忘れて喜ばせる者はない。僕の全身全心は融けて一抹の霞になって御声に振るへて居た。花に眠る胡蝶の様になって恍惚としてゐた。

英詩の一二行、和歌の一句、これらの短い朗誦でも先生の御口より出づる時は譬へやうもない気持の好い音となって僕らの心を魅了せずんば止まなぬ。しかるに今かくの如く長時間の間酔はされた歓喜と満足とは到底言語に尽すことは出来ぬ。先生の御声は話の時も朗誦の時も一向変りがない。同じ高さ同じ大きさ同じ調子で進まれる。恍惚と聞いて居れば知らぬ間にお話に返って
「この詩を Longfellow が英語に訳さうと思った所が丁度 Austen と云ふ婦人が一字一句そのまゝに巧に訳してあるのを発見したから……」

そのまゝその訳を借りてどうとか云々とお話が続いてゐるかと思ってる中に、先生の御声は既にその英訳詩の諳誦の中に流れ入ってるのであった。
何らの幸。何らの喜。この大きな喜悦を忽ち又繰返し得るとは。この瞬間世の利達栄誉は云ふに及ばず自分のすべての望を抛っても悔ないと思った。
終に先生は、「諸君の楽しさうな親睦を見てこれ丈の事を憶ひ出した」
と結んで座にお就きになった。かるいざはめきが玆に一座の上にたゞよふた。