友を想う詩! 渡し場
魅せられ語り継ぐ人々
長谷川 香子
新設:2012-10-14
更新:2021-09-01
ウーラント原作「渡し場」を語り継ぐ人々

略  歴
(はせがわ)

語り継ぎの足跡-1
昭和31年(1956)9月13日付朝日新聞(東京版)「声」欄に載った猪間驥一の投書「老来五十年 まぶたの詩」に対し、「渡し場」との関わりを綴って朝日新聞に送ったところ、昭和31年(1956)10月7日付週刊朝日66ページに次のとおり掲載された。

長谷川香子さん (54歳、世田谷区舟橋町)

すぐに大正二年の「少女の友」でこの詩を読んだのを思い出しました。ちょうど一年前に明治天皇が亡くなり、乃木大将が自刃したのが子供ごころにショックだったので、この詩をハッキリ覚えているのです。当時十銭で毎月とっていた雑誌を、今も生命の次に大事なものとして行李の底にしまっておきました。取り出してみると、八月号に東京女子師範学校教諭の北沢種一という人が「人の情」と題して、この詩を引用した話を書いていました。猪間さんが御覧になったのは、これではないでしょうか。

参 照 1
雑誌「少女の友」大正2年(1913)8月号(實業之日本社刊)72~73ページ掲載
東京女子高等師範学校教諭・北澤種一著「人(ひと)の情(こころ)
<注>原文に施されたルビは、すべて省きました

オイ!船頭さん、
最早岸についたか。
これ三人分の賃銭を
受取って呉れ船頭さん。
お前の目には見えなかったらうが、
客は私の外に尚二人あったのだ。

これは独逸の詩人ウーランドといふ人が旅行中ラッカル河を渡った時に、数年前に親しき友二人と共に此河を渡った時の事を想ひ起して作った詩の終りの句である。ウーランドは友情に厚い人であったが二度目に此河を渡った時には、最早前に一緒に同船した親友は二人とも亡き人となって居ったのである。それで今は只一人で此河を渡るのであるが、河の流れや、河畔に立つ古城が依然として夕陽に聳えて居る有様や、河中にあるヤナなどが昔と少しも変らずにある様子や、さては渡し船の様子などがありし当時と少しも変らないので、思はず昔馴染の彼の二人の友を追懐するの情に堪へず、窃かに亡き二人の友を惜しみ、せめてもの心慰に獨り心の中で彼の二人の友と会話をしたのであった。

そこで実際は死んで了った二人の友ではあるがウーランドに取っては生ける親しき友と思ふより外なく、種々の昔の交りを想ひ起して居ったのに、忽ちにして船は彼岸に着いて楽しき追懐は破られたのである。ウーランドはその果敢なさを嘆息して思はず、「最早岸に着いたか」といふ声を漏らしたのであった。而もその想ひ出には無限の情味を感じて居って嬉しさの余り「三人で今度お前の厄介になって此の河を渡ったのだ」といふ心持を表はすために三人分の船賃を払ひ、懐しさに堪え兼ねて、後を見返りしてその場を立ち去ったといふことである。

船頭の方でも「如何したんだろう」と、不思議の眼を見張って居ったのが何とはなしにその客に対する床しき情を以て只茫然として見送るのであった。

げに眞の友は吾等の生命の一部である。よしその肉体は死んで了っても、よしその身は千山萬里を隔てたる異域の人となっても、眞の友は何時まで経っても常に吾が心の中に立ち交りて、我と共に生き我と共に語るものである。而も此の温情は発しては何のゆかりも無い他の人に対する余徳となり、余慶となって来るもので、ラッカル河の船頭の如きも、その余沢にうるほったのである。

 美しきは人の情なるかな。


<解説>

冒頭のウーラント作「渡し場」詩文紹介部分は、<参照2>として次に掲げる新渡戸稲造著「世渡りの道」での「渡し場」詩文紹介最終部分に極めて似ている。双方とも實業之日本社刊であり、北澤種一は先行する新渡戸稲造の「渡し場」紹介文を下敷きに執筆したと思われる。

参 照 2
新渡戸稲造全集第8巻、1970年教文館刊「世渡りの道」から、
「同情の修養」の一節、(333~334ページに掲載)


同情と親友に就て思ひ出さるゝのは、ウーランドの詩である。氏は独逸の政治家であると共に一代の大詩人で、六十余年前に最も持て囃された人である。氏の叔父に牧師になった人がある。又氏と同窓で法律を攻め、後に一年志願兵となり、ナポレオンの戦争で戦死した親友がある。氏がネッカル川を渡るとき、この親しき二人の死を想出して詠じた詩は、実に親友に対する熱情を披瀝したものである。

顧みれば数年前曾て一度この川を渡ったことがある。
河畔には当年の古城が依然として夕陽に聳えて居る。
河上にはヤナが昔と変らず淙々として響いて居る。
その時には我の外に二人の友が此の舟に座し共に此河を越えた。
一人は老人で静に世を渡り後ほど静に世を去った。
一人は血気熾(さかん)な青年で、嵐の中に身を処して遂に嵐の為に倒れた。
有りし当時を追懐すれば、何時も二人の面影が現はれる。而も此二人は死の手の為に我より裂かれたるものなるに……
否、否、我が二人と交りて、友よ、友よと親しんだ睦さは、肉の交りにあらざりし。心と心との友誼であった。魂と魂との交であった。
霊的親交なりし上は、ヨシ今肉体はあらなくも、尚親しみは変るまい。
オイ船頭、モ-舟が着いたの-。コレ、三人分の賃銭を払ふから納めて呉れ。
お前の目には見えなかったであらうが、客は我の外に尚二人あった。

親友に対する斯かる切なる情は、自然に磨かれて四囲の人々に対しても、温かき同情を表はすやうになる。その情は決して親しき二人に止まるものではない。ウーランドの心中を更に知らない船頭まで、その恩恵に浴する様なものである。