友を想う詩! 渡し場
魅せられ語り継ぐ人々
釜澤克彦
新設:2021-04-16
更新:2021-05-15
ウーラント原作「渡し場」を語り継ぐ人々

略  歴
(かまざわ かつひこ)

昭和14年(1939) 北海道生まれ
昭和36年(1961) 北海道大学法学部卒業
昭和36年(1961) 大手商社に入社し、1960年代米国(NY)、1970年代ドイツ(デュッセルドルフ)
          1980年代英国(ロンドン)に駐在、定年退職後大学講師
語り継ぎの足跡-1
平成29年(2017)1~2月頃 北大東京同窓会から届いた案内で 同会主催の3月度「エルム談話室」で 松田昌幸が『人生の渡し場』と題して講演することを知った。

演題とウーラントの詩に興味を抱いて Webで調査を行ったところ ウーラント作「Auf der Überfahrt」に辿り着き 多分この詩にまつわる話ではと思った。さらに Web検索を続け ドイツの Webサイト「Stuttgart im Bild」のうち「Burgruine Hofen」が この詩に言及し、しかも 詩の舞台がシュトゥットガルト(Stuttgart)のホーフェン(Hofen)城の廃墟などであることも知った。

以上の予備知識をもって、同年3月3日(金)「エルム談話室」で 松田昌幸の講演を聴講し、松田に「この詩が詠う[城]の場所は、ハイデルベルクではなく、別の場所[ホーフェン(Hofen)]では」と、講演後の立ち話で伝えた。

語り継ぎの足跡-2 *印はサイト「Bürgerverein Hofen e.V.」へ リンク
やがて4年の歳月が経とうとする令和3年(2021)になってから ウーラントの詩「渡し場」に関心を持ち続けていたので Webで再調査したところ、次のような新たな展開があったことを知った。

2017年10月25日に シュトゥットガルト(Stuttgart)ホーフェン(Hofen)地区の民間団体(Bürgerverein Hofen e.V.)が、ネッカー(Neckar)川に架かる「ホーフェナー橋」南東詰のホーフェン側渡し場跡に「FÄHRHAUS HOFEN」(ホーフェンの渡し舟小屋)という案内板を設置除幕した。*(ココから除幕時アルバムにリンク)

この案内板は、ウーラント作「Auf der Überfahrt」を紹介し、さらに「二人の友」と「渡し舟」を解説するもので、案内板のPDFファイルを*ココから ダウンロードする。また、ホーフェン城廃墟のアルバムに*ココからリンクする。

シュトゥットガルトは、1871年の統一ドイツが生まれるまで、ヴュルテンベルク(Württemberg)王国(1805年までは公国)の首都であった。ウーラントの生没地チュービンゲン(Tübingen)も同ヴュルテンベルク王国(1805年までは公国)に属していた。

ウーラント夫人(Emma Uhland)著『ウーラント伝(Ludwig Uhlands Leben)』によると、ウーラントは1812年12月16日から1829年4月までの17年5ヶ月をシュトゥットガルトに住み、1820年5月29日にエマ夫人と結婚した。

シュトゥットガルト市Webページ「Ludwig Uhland - Wohnhaus 1820 und 1821-1827」によると、ウーラント夫妻は同市内 Friedrichstraße 27 のコンラート館(Conradischen Haus) に1827年まで居住した。

また、ホーフェンの渡し場跡に建てられた案内板の説明によると、 この詩に登場する「父のような友」で母方伯父のクリスチャン・エバーハート・ホーザーもホーフェン東南のシュミーデン(Schmiden)に住み、「若く希望あふれる友」ホープレヒトと3人でホーフェン対岸奥のフォイエルバッハ(Feuerbach)に住む父方伯母のシュミート(Schmid)を訪ねる往復にホーフェンの渡し舟を使っていたという。

そして、同夫人が同書の中で「一人旅の帰途ネッカー川を渡るとき…深い愛情のこもった詩を生んだ」と記していることは、実際に起こったことを基に「Auf der Überfahrt」を詠んだものと思われる。

従って ホーフェンがウーラント作「渡し場」=「Auf der Überfahrt」の舞台であるとするホーフェン民間団体(Bürgerverein Hofen e.V.)の主張は説得力がある。

以上の諸関係箇所を一覧できるように Google地図上に表示した 「シュトゥットガルト市と Hofen 古城の位置」を作成し PDFファイルとした。 ココから 同PDFファイルにリンクする。

さらに 前述と同様に「渡し舟小屋」と「案内板」の位置を Google 地図上に明示した『「ホーフェンの渡し場」跡の近況』を作成し PDFファイルとした。 ココから 同PDFファイルにリンクする。

これにより、ウーラント作「渡し場」が詠う[渡し場]と[城]は、ウーラント生没地・チュービンゲン(Tübingen)の北方30㎞でネッカー川下流に当たるシュトゥットガルト(Stuttgart)市北東のホーフェン(Hofen)地区にあるホーフェナー橋南東詰「渡し舟小屋がある場所」と「ホーフェン城廃墟」に違いないと確信するに至った。

以上の結果の概要を、松田昌幸に令和3年(2021)3月25日(木)メールで報告した。

<注>
①ウーラント夫人)著『ウーラント伝(Ludwig Uhlands Leben)』は、「プロジェクト・グーテンベルク」から閲覧でき、ココからリンクする。
②Google のストリートビューで ホーフェナー橋周辺をみると、橋には堰が併設され LRTの線路が歩道付車道に並んでいることなどがわかる。

語り継ぎの足跡-3
2021年4月、前「語り継ぎの足跡-2」で紹介した「FÄHRHAUS HOFEN (ホーフェンの渡し小屋)」と題した「案内板」にドイツ語で記された説明文を日本語に翻訳し、PDFファイルとした。ココから同PDFファイルにリンクする。

併せて、外部Webサイト掲載の『ウーラント日記 1810-1820 (Uhlands Tagebuch 1810-1820)』を基に、ウーラントの親族~詩「渡し場 (Auf der Überfahrt)」関連部分のみ~」を作成し、PDFファイルとした。ココから同PDFファイルにリンクする。

著作物など
釜澤克彦は、自らの足で調査を重ねた結果を 世話になった方から勧められて、平成21年(2009)に『イザベラ・バードを歩く「日本奥地紀行」130年後の記憶』として彩流社から上梓した。
その粘り強く緻密な探求姿勢が、ウーラント作「渡し場」の舞台を見出すことに活かされたといえる。
釜澤克彦著「イザベラ・バードを歩く」表紙