友を想う詩! 渡し場
魅せられ語り継ぐ人々
松田 昌幸
新設:2012-10-17
更新:2022-10-31
ウーラント原作「渡し場」を語り継ぐ人々

略  歴
(まつだ まさゆき)

昭和31年(1956)3月31日 札幌南高等学校卒業
昭和36年(1961)3月31日 北海道大学卒業
昭和36年(1961)4月1日  日立製作所に入社し、日立中央研究所勤務
語り継ぎの足跡-1
昭和49年(1974)3月30日にNHKラジオ第1放送「渡し場のメロディー」で、星野四郎が「渡し場」を介しての昭和31年(1956)以来の猪間驥一と桜丘高校(豊橋市)との交流を語り、ミーリッシュ作曲のメロディーが流された。この放送が昭和51年(1976)4月19日、NHKラジオ第1「趣味の手帳」で再放送されたときに、松田昌幸が偶然にも直感をもって録音テープに収めた。これが松田昌幸にとって「渡し場」との最初の出合いであった。

松田昌幸にとって「渡し場」との次の出合いも偶然訪れた。平成11年(1999)11月に、松田昌幸は自ら記録している情報整理カードのうち1枚だけ少し飛び出しているのに気付き、何だろうと手にしたところ、星野四郎が語る「渡し場」に関するもので、昭和51(1976)年4月19日にNHKラジオ第一放送「趣味の手帳」が再放送した『星野四郎が「渡し場」を介しての昭和31年(1956)以来の猪間驥一と桜丘高校との交流を語った』ときの要旨であった。

この後の松田昌幸による「渡し場」の楽譜を求めての精力的な活動などは、本サイト内の《「渡し場」の楽譜を求めての旅路(第三幕) 平成11年(1999)~平成24年(2012)~カール・レーヴェ作曲「渡し場」の日本初演奏とCD発売まで~》をご覧頂きたい。
語り継ぎの足跡-2
平成18年(2006)7月6日付朝日新聞(東京版)「窓 論説委員室から」欄に、『「渡し」にはドラマがある』を高成田享が執筆掲載したのが契機となり、朝日新聞の「窓」が媒介となった「絆」を深めるため、「第1回ウーラント同窓会」を平成18年(2006)年8月16日にプレスセンタービル内「アラスカ」で開催し、北原文雄、朽津耕三、小出健、小谷慈明、志田忠正、松田昌幸、丸山明好、高成田享が出席した。この事務局を松田昌幸が務めた。

平成19年(2007)2月11日 北原文雄が同年3月14日に「一高懇話会」で行う予定の講演《「友を憶う詩”渡し場にて”とその波紋」~新渡戸に始まる人生の渡し場系譜~》の講演原稿準備作業を、北原文雄、小出健、松田昌幸、丸山明好が松田昌幸宅に集って行った。
語り継ぎの足跡-3
平成19年(2007)10月26日、松田昌幸は出身高校の「在京札幌南高校同期会」で『人生の渡し場』を演題として講演を行い、資料を配付した。

平成20年(2008)3月3日、松田昌幸の個人ホームページ『ウーラント「渡し場」が世に出るまで』を開設した。これにより、新渡戸稲造から同ホームページ開設に至るまでの「渡し場」関係情報がまとめられた。
按針亭管理人は、「ウーラント」および「渡し場」でWeb検索中に「当該松田昌幸のサイト」を訪問し、お世話になるに至った。
[注] 松田昌幸の当該サイトは 後に閉じられた
語り継ぎの足跡-4
平成20年(2008)5月27日~6月7日、松田昌幸は友人を誘って、ウーラントとレーヴェの両子孫の対面を期待してドイツを尋ねた。しかし、残念ながら双方とも子孫がいないことが判った。そのドイツ訪問の折に、松田昌幸が撮った写真の提供を受け、2点掲載する。

ルードウィッヒ・ウーラント夫妻の墓
撮影:2008年 松田昌幸

チュービンゲン大学にあるウーラント銅像
撮影:2008年 松田昌幸
語り継ぎの足跡-5
平成29年(2017)3月3日(金) 北大東京同窓会主催「エルム談話室」で 松田昌幸が『人生の渡し場』と題として講演を行ったところ、聴講した釜澤克彦から「この詩がいう[城]の場所は、ハイデルベルクではなく、別の場所ではないか」といわれた。

令和3年(2021)3月25日(木) 釜澤克彦から、ウーラント作「渡し場」が詠う[城]は、シュトゥットガルト(Stuttgart)市ホーフェン(Hofen)地区のネッカー川沿いにあるホーフェン城廃墟に違いないと、ホーフェン民間団体のWebサイトが伝える資料などを添えた報告を受けた。

釜澤克彦から受けた情報は重要と判断し、直ちにウーラント同"窓"会のメンバーにメールで伝えた。
受けた報告の詳しい内容は、釜澤克彦の個別ページをご覧頂きたい。
語り継ぎの足跡-6
ウーラント同“窓”会[編]『「渡し」にはドラマがあった ウーラントの詩とレーヴェの曲をめぐって』2022年1月14日 荒蝦夷 刊 に、次の2編を寄稿した。

第1章 ルートヴィヒ・ウーラントと「渡し場」
 2 ウーラント探しのドイツ紀行

第5章 それぞれの想い
 #1 「渡し」にはドラマがあった

2022年2月16日付の朝日新聞(朝刊)「声」欄に松田昌幸の投書「66年前の一通の投書が縁 本出版」が掲載された。
2022年2月16日付の朝日新聞「声」欄に掲載された松田昌幸の投書「66年前の一通の投書が縁 本出版」


66年前の一通の投書が縁 本出版

    無職 松田 昌幸 (東京都 85)

1956年9月の声欄に掲載された「老来五十年 まぶたの詩」という投書がきっかけとなり、「『渡し』にはドラマがあった」という本が最近、出版された。投書は、次のような詩の出典を尋ねる内容だった。

 ――ひとりの老人がある川の渡し船に乗り、船頭に多めの渡し賃を払う。驚く船頭に老人は言う。「それだけ取っておいてください。お前さんには1人としか見えなかっただろうが、私は連れと一緒だったつもりだから」。老人は若かりし頃、亡き友人らと渡し船に乗ったことがあったのだ――。

当時、すぐさま反響があり、ドイツの詩人ルートヴィッヒ・ウーラントの19世紀の作品「渡し場」で、日本に紹介したのは新渡戸稲造。歌曲になっていたこともわかった。その後も関連投書がいくつか掲載され、それが縁で、「ウーラント同“窓”会」もできた。その交流の成果としてまとまったのが今回の本。平均年齢80歳超のメンバーの一人として、声欄に感謝したい。

語り継ぎの足跡-8
令和4年(2022)9月10日(土)午後、国分寺いずみホールにおいて、ルーチェエテルナ主催の「ルーチェエテルナ 2022 コンサート」が開催された。
このコンサートで、松田昌幸は、猪間驥一・小出健共訳「渡し場」を朗読、続いてカール・レーヴェ作曲「渡し(Die Überfahrt)」をドイツ語で歌った。



朗読・歌:松田昌幸
時間:5分14秒

[注]
・詩文はコチラをクリックし、文語訳詩とドイツ語原詩をご覧ください。
・カール・レーヴェ作曲「渡し」の譜面は、ウーラント同"窓"会編『「渡し」にはドラマがあった』の P.120-123をご覧ください。

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