友を想う詩! 渡し場
魅せられ語り継ぐ人々
北原 文雄
新設:2012-10-19
更新:2022-10-31
ウーラント原作「渡し場」を語り継ぐ人々

略  歴
(きたはら あやお) 1920年(大正9年)~

大正9年(1920) 長野県伊那市高遠町で誕生
旧諏訪中学、旧制第一高等学校理科乙類を経て、
昭和17年(1942) 東京帝国大学理学部化学科卒業
東京電気(現東芝)に就職し、直ちに兵役に従事、終戦後職場に復帰
昭和24年(1949) 佐賀県小城石炭研究所入所
昭和27年(1952) 東邦大学理学部化学科助教授
昭和34年(1959) 理学博士(東京大学)、教授に昇格
昭和36年(1961) から1年間 米国ペンシルベニア州立大学研究員
昭和38年(1963) 東京理科大学工学部工業化学科教授 (途中6年間常務理事を兼務)
平成7年(1995)  同大学退職 同名誉教授
平成29年(2017) 『コロイド化学史』を97才にて上梓
令和元年(2019)6月 『北原弥生遺詠集 暮色のかなた』を私家本として刊行
令和元年(2019) 99才で迎えた「敬老の日」2日前 9月14日の姿(写真)
令和2年(2020)1月 100才 5月『化学者ウィリアムソンと日本人留学生たち』を私家本として刊行
令和4年(2022)1月 ウーラント同“窓”会[編]『「渡し」にはドラマがあった 』に2篇執筆

専門分野 : コロイド・界面化学とその化学史
語り継ぎの足跡-1
昭和31年(1956)9月13日付朝日新聞(東京版)「声」欄の猪間驥一の投書に感銘を受ける。

昭和50年(1975)9月15日付朝日新聞(東京版)「投書を追って」欄「”心の詩に”親しめる新曲を」を読み、「渡し場」の詩の内容を知って、後日、昭和31年(1956)10月7日付「週刊朝日」掲載「渡し場」訳詩のコピーを入手


語り継ぎの足跡-2
平成16年(2004)10月刊 『向陵』42巻最終号に、”友を憶う詩「渡し場にて」をめぐって”と題して寄稿した。その骨子は概ね次のとおり。


【冒頭】 の部分で、執筆の意図が次のとおり記されている
昨年から今年にかけて、私は一高撃剣部以来の親しい二人の友をあいついで失った。「渡し場にて」の詩のことがしきりと想われてならない。この詩をめぐる二人の大先輩、山岡望、猪間驥一と、初めて日本の若者にこの詩を紹介された新渡戸稲造校長とのことを縦糸とし、これらを捜し求めた私の旅を横糸として、この文を織りなしてみたい。

【猪間先輩の投書】
昭和31年(1956)9月13日付朝日新聞(東京版)「声」欄に掲載された猪間驥一が投稿した、一風変わった投書といわれた投書内容と猪間驥一による口語訳と原詩を紹介
<注>リンクは、何れも本サイト内、詩文は口語体訳-1に

【山岡望先輩 ―― 一高と六高】
山岡望の一高と六高での活躍状況を紹介し、その最初の部分で次のように記している。
……私とこの詩との出会いは戦後のことであるが、第六高等学校(六高)の生徒達は戦前の早い時期からこの詩を知っていたのである。しかも原詩で。それは山岡望という六高の名教授からであった。山岡先輩とこの詩との関係に入る前に次の書により山岡のことを記しておきたい。
山岡の死後、教え子達により『山岡望傳――ある旧制高校講師の生涯』(山岡望傳編集委員会編、一九八五年、内田老鶴圃)が出版された。本書は客観的記述による書で四三〇頁に及ぶ。その序文は記す「全生命を旧制高校に没入、旧制高校と運命を共にした比類なき名教授、文字通り六高のシンボルであった」と。

【山岡の『向陵三年』】
山岡の『向陵三年』との出会いを探し求めた経緯が述べられている。国会図書館にあった山岡柏郎(望)著『向陵三年』の「橄欖」章に新渡戸校長との関係で記されていると紹介。
<注>本サイトでは、当該部分を新渡戸稲造ページ山岡望ページで紹介している

【猪間と山岡をつなぐ糸】
山岡望の秘書役であった石井寿子から、昭和31年9月の猪間驥一の投書に返事をした人々の中に山岡望があって、朝日新聞から取材を受けた後に、週刊朝日に掲載されたことを教えられ、「驚くと共に喜びを隠せなかった」こと、山岡望著「六稜史筆」の中の「不死の詩」概要などが記されている。
<注>週刊朝日に載った山岡望によるコメントは、本サイト内の山岡望ページで紹介している

語り継ぎの足跡-3
平成18年(2006)7月 松田昌幸宅で小出健および松田昌幸と会う。

平成18年(2006)7月6日付朝日新聞(東京版)「窓 論説委員室から」欄に、『「渡し」にはドラマがある』を高成田享が執筆掲載したのが契機となり、朝日新聞の「窓」が媒介となった「絆」を深めるため、「第1回ウーラント同窓会」を平成18年(2006)年8月16日にプレスセンタービル内「アラスカ」で開催し、北原文雄、朽津耕三、小出健、小谷慈明、志田忠正、松田昌幸、丸山明好、高成田享が出席した。

平成19年(2007) 2月9日 一高懇話会での講演準備のため要請していた資料を 小谷慈明から受領

平成19年(2007) 2月11日 北原文雄が同年3月14日に「一高懇話会」で行う予定の講演《「友を憶う詩”渡し場にて”とその波紋」~新渡戸に始まる人生の渡し場系譜~》の講演原稿準備作業を、北原文雄、小出健、松田昌幸、丸山明好が松田昌幸宅に集って行った。この時点までの「渡し場」関連情報を整理したものであった。

平成19年(2007) 3月14日 一高懇話会で 北原文雄は次のテーマで講演した。
   「友を憶う詩”渡し場にて”とその波紋」~新渡戸に始まる人生の渡し場系譜~

平成19年(2007)10月5日 新渡戸稲造博士のお孫さん加藤武子から、新渡戸稲造著 加藤武子訳「幼き日の思い出」を受領
語り継ぎの足跡-4
令和元年(2019) 99才で迎えた「敬老の日」2日前 9月14日(土)の北原文雄氏

千葉県佐倉市の老人施設に入居中のウーラント同"窓"会会員・北原文雄(写真中央)氏を 丸山明好(写真左)と中村喜一(写真右)が 2019年9月14日(土)に訪ね 約2時間歓談した
中央が北原文雄(99才)氏
撮影:2019-09-14
中央が北原文雄(99才)氏
撮影:2019-09-14
ウーラント同“窓”会[編]『「渡し」にはドラマがあった ウーラントの詩とレーヴェの曲をめぐって』2022年1月14日 荒蝦夷 刊 に、次の2編を寄稿した。

 第2章 日本でのドラマ
  2 友を憶う詩「渡し場」をめぐって

  第5章 それぞれの想い
  #3 渡し場」を語り継ぐ


【出版を待ちわびる 北原の短歌2首】

  1月の 上旬とかや 同“窓”の
     共同出版 心待たれる

  同“窓”の 『渡し』ともなる われらが書
     抱いてみたし 嬰児の如くに


【出版日に出版を祝い喜ぶ 北原の短歌1首】

  『渡し』の書 出版なりしを 同志共
     杯あげて いざや祝はん

語り継ぎの足跡-6
令和4年(2022)1月17日 北原文雄は102歳の誕生日をお元気な姿で迎えられた

ウーラント同"窓"会会員・丸山明好は、北原文雄の102歳誕生日祝いと翌1月18日開催「『渡し場』出版記念会」へのメッセージを北原文雄から貰うため、実弟運転の自動車で北原を訪ねた。ガラス窓越しの対面であったが、施設の職員による細やかなサポートに支えられたもので、北原は102歳の誕生日に自ら発案の新刊本『「渡し」にはドラマがあった』を手にし感激ひとしおであった。

【102歳の誕生日に新書を手に喜ぶ 北原の短歌1首】

  あなうれし 『渡し』の書籍 同志らと
     出版できし 102のおきな
102歳誕生日祝花束と新著『渡し場』を持つ北原氏
撮影:2022-01-17 丸山明好
花束は施設から贈られた102歳誕生日祝い
『渡し場』は
『「渡し」にはドラマがあった』の略称
コロナウイルス感染予防のため
ガラス内側の北原(右)とガラスを挟んで手を合わせ
携帯電話で話をする施設外の丸山(左)
撮影:2022-01-17 丸山明好実弟

【出版記念会に寄せて 北原の短歌7首】

  同志らの 作こぞの暮 まとまりて
     出版記念の 会開かれし

  出版の 記念の会に 欠席す
     されど幸せ この日に生きて

  友一人 遠きをわざわざ 訪(オトナ)いて
     われの元気を 皆に知らせり

  この作は 同志さらに 人どちの
     間をつなぐ “渡し”の 舟ぞ

  風吹かん 嵐もあらん この川を
     共に渡らん 苦難を越えて

  雪深き 越後の友の 訪(オトナ)へり
     久々なりし 楽しさは大

   “渡し”にて 結びし縁(エニシ) その舟に
     十指に及ぶ 友どちが乗る