友を想う詩! 渡し場
魅せられ語り継ぐ人々
早崎 守俊
新設:2012-10-17
更新:2022-10-31
ウーラント原作「渡し場」を語り継ぐ人々

略  歴
(はやさき もりとし)  1926年~

元名古屋大学教授
語り継ぎの足跡-1
早崎守俊は、昭和48年(1973)9月12日付朝日新聞(名古屋版)「声」欄に載った古田かね子の投書に応えて、ウーラントが生まれ育ったチュービンゲンでの留学生活の中で得られたウーラントおよび「渡し場」に関する情報提供の投稿を行い、昭和48年(1973)9月15日付朝日新聞(名古屋版)「今週の声から」欄で『反響を呼んだ友情の詩「渡し場」』特集で次のとおり掲載された。


名古屋市・早崎守俊さん(名大教授、47歳)は、ドイツ留学の思い出とともに……

五年前のこと、わたしはルートウィヒ・ウーラントの生地、ネッカー河畔のチュービンゲンに一年間滞在し、詩人の生家や夫人のそれと並んだ飾りけのない墓をもたびたび訪ねました。ウーラントは「シュウァーベンのロマン派の詩人たち」のひとりとして知られており、この地方の風土や民話を素朴で誠実な感情でうたったその詩は、多くの作曲家によって作曲され、民謡のように歌われています。

この詩にうたわれている川は詩人が生涯愛しつづけたネッカー川、乗りあわせた老いた友は、詩人が敬愛していた伯父にあたるホーザー司祭、若者はナポレオンのロシア遠征当時、一八一三年にロシアのベルジーナ河上で戦死したフリードリヒ・フォン・ハルブレヒトだといわれています。乱世をひとり生きのびた詩人が、ふたつの世代のちがった死を悼んでうたった詩ですが、この詩もカール・レーヴェによって作曲されています。


<解説>
本投稿は、「渡し場」の楽譜を求める人には、貴重な情報が含まれているにも拘わらず、残念ながら朝日新聞(東京版)購読者の目にとまることがなかった。