ウーラント原作「渡し場」を語り継ぐ人々
略 歴
(やないはら ただお) 1893年(明治26年)~1961年(昭和36年)
明治26年(1893)1月27日 愛媛県越智郡富田村大字松木(現今治市松木)で誕生
明治43年(1910)9月 第一高等学校に入学、大正2年(1913)7月 卒業
大正2年(1913)9月 東京帝国大学法科大学政治学科入学、大正5年(1916)7月卒業
大正6年(1917)4月 住友別子鉱業所(愛媛県今治市)に就職 5月 西永愛子(藤井武夫人の妹)と結婚
大正9年(1920)3月 新渡戸稲造の植民政策の講座を引継ぎ東京帝国大学助教授(経済学部)に就任
10月 英・米・独・仏4ヵ国に留学のため出発
大正10年(1921)7月 処女作『基督者の信仰』内村鑑三の聖書研究社から出版
大正12年'1923)2月9日留学より帰国 同26日 愛子夫人が肺結核で逝去 8月 東京帝国大学教授
大正13年(1924)6月 堀惠子と再婚 10月 朝鮮・満州を調査旅行
昭和12年(1937)12月1日 辞表提出し 同2日 東京帝大経済学部最終講義 同4日退官辞令
昭和20年(1945)11月 東京帝国大学教授(経済学部)復帰
昭和23年(1948)10月 東京大学経済学部長(1949年9月まで)
昭和24年(1949)5月 東京大学教養学部長
昭和26年(1951)12月 東京大学総長に選ばれ 昭和32年(1957)12月 任期満了で東京大学総長を辞す
昭和33年(1958)2月 東京大学名誉教授
昭和36年(1961)12月25日 逝去
語り継ぎの足跡-1
1913年(大正2年)5月27日に開催された「一高基督教青年会」の「卒業予定者送別晩餐会」に招待された新渡戸稲造が 挨拶の中で「渡し場」を独語の原詩とオースチンの英訳詩を暗誦するなどして学生に紹介した。矢内原はその当日の日記の欄外に「先生より Procter の詩及び Uhland の Auf der Überfahrt を紹介さる。」と記した。以下、同日の日記全文を矢内原忠雄全集第28巻から転載
雨なり。午后六時より本館食堂にて青年会送別会を開く。新渡戸先生も御出席下され十時十五分前までも居られ、大へんゆつくりして且つ例にもましてにこにこせられ、大変愉快であった。先生を少しでもおよろこばし申したい。御話は大へんよかった。札幌での話などあった。哲学でも科学でもインテレクチュアルな疑は直ちに信仰をくつがへすものではないが、一寸した行為はすっかり信仰をこはして仕まふものである。又キリストを離れるのは主人の下を浪人になる様なもので大へんおちつかなくなる。又キリストによる友情の尊さなどを実例もて語られた。キリストによる友情! 僕は実際青年会の友に心から感謝する。何も知らなかった自分、傲慢な自分は心の清く正しい青年会の友の寸言や一寸した行によって実に大なる力と慰とをえた。ああキリストに友は美しきかな。今日あつまり人こは先生の外に山岡、上沼、長崎、三谷、角尾、小林、毛利、保坂、余(以上三年)、芦野、金沢、大野、大原(以上二年),平井、高木、沢田、神森、南、山田(以上一年)。
(欄外――先生より Procter の詩及び Uhland の Auf der Überfahrt を紹介さる)。