按針亭
友を想う詩!
新設 : 2012-10-14
更新 : 2016-03-18
文語体訳詩(解説と吟詠)
及川仙石
友を想う詩! ウーラント原作「渡し場」に 魅せられ語り継ぐ人々

    略  歴    

(おいかわ せんせき)  1893年(明治26年)~1969年(昭和44年)

明治26年(1893)6月4日、仙台市立町通りで誕生  本名:周(まこと)
第二高等学校(仙台)を経て、東京帝国大学医学部に進み、大正8年(1919)卒業
中田みづほ、高野素十と共に新潟医科大学(現新潟大学)に奉職
大正14年(1925)、医学博士
昭和2年(1927)~昭和3年(1928)文部省海外研究員として欧米留学
昭和4年(1929)5月教授拝命
 この頃から、素十、みづほ、今夜の指導を受けて俳句を始め、虚子、年尾に師事することになる
昭和18年(1933)10月、積雪地方生活調査委員
昭和20年(1945)、ホトトギス同人に推挙される
昭和20年(1945)、松の花俳句会が発足し主宰となる。
昭和22年10月1日、天皇陛下越路御巡幸の際「雪と医学」についてご進講
昭和29年3月、新潟大学を定年退官、日本大学医学部衛生学教室主任教授に、東京都練馬区に移住
昭和44年(1969)3月6日永眠
語り継ぎの足跡































及川仙石は、昭和31年(1956)9月13日、同21日の朝日新聞(東京版)の「声」欄の猪間驥一の投書、ならびに同27日朝日新聞(東京版)「学芸」欄記事に感銘を受けた。

昭和31年(1956)10月27日に、「松の花俳句会誌『松の花』」第百号を記念して、国立新潟療養所(現 独立行政法人国立病院機構新潟病院)敷地に、及川仙石の弟子達が企画した「うつぎ句碑」※建立除幕式が行われた。
※及川仙石の句「花うつぎさかりの頃の去年のこと」が刻まれている。

及川仙石は除幕式の挨拶で、ウーラント作「渡し場」の詩を紹介し、さらに、建立した「句碑」を訪ね互いを思う「憩いの石」として欲しいとの話をしたので、以降、及川仙石の弟子達は句碑を「憩いの石」と心には留めつつも、「うつぎ句碑」と言いならわしているという。

柏崎市は、新潟療養所の敷地の一部を厚生省より譲与を受けて、整備を行ったうえで、昭和51(1976)年4月1日から柏崎市の赤坂山公園として供用を開始した。

昭和56年(1981)秋になると、「憩いの石」は赤坂山公園に移設された。移動距離は約200メートルで、移設場所は赤坂山公園内に設置された柏崎市立博物館の「石の門柱」の間を通って、博物館へ向かう緩やかな坂道の左側である。

<参照>
柏崎市公式サイトの赤坂山公園ページに、当該句碑が紹介されている。

昭和36年(1961)9月3日、安浄寺(長岡市来迎寺甲)に「歯塚」を建立、「憩いの石」と同様に折にふれ俳句の仲間が訪ね集う処として欲しいとの願いを込めてであった。
及川仙石没後、昭和44年(1969)5月11日、遺言により仏式により「歯塚」に分骨された。
「憩いの石」=「うつぎ句碑」
「憩いの石」=「うつぎ句碑」
赤坂山公園(柏崎市)
2013-5-14撮影
「歯塚」
「歯塚」
安浄寺(長岡市来迎寺甲)
2013-5-14撮影

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