按針亭
友を想う詩!
新設 : 2012-10-14
更新 : 2016-03-18
友を想う詩! ウーラント原作「渡し場」
魅せられ語り継ぐ人々
はじめに

按針亭管理人が、56年前の昭和31年(1956)10月に、文語体訳詩「渡し場」に出会いながら、詩文をノートに記し、自分で拙い節を付けて口ずさむといった、自分だけの殻に閉じこもっていた。

一方、この間に、「渡し場」を語り継ぐことが、「渡し場」に魅せられた人々によって、それぞれの方法で進められていた。

以下、その一部分を、登場人物の敬称を全て省いて、紹介させていただきます。

なお、本「魅せられ語り継ぐ人々」ページを作成するに当たり、「ウーラント同窓会」メンバーである松田昌幸のサイト『ウーラント「渡し場」が世に出るまで』および丸山明好がまとめた『「渡し場」年譜』(非公開)を参照し、一部引用させていただきました。

次の方は、按針亭管理人宛に連絡頂ければ幸です。
  1)「渡し場」を語り継いでいるのに、本ページに掲載されていない情報を
     お持ちの方
  2)「渡し場」に、新たに/改めて、関心を寄せられた方

平成24年(2012)10月17日 按針亭管理人・中村稲岳記

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「渡し場」に魅せられた時期・径路別リスト

イタリック文字で表した氏名の方は、本サイト「按針亭」内の別ページにリンクし、それぞれ、「渡し場」の語り継ぎ状況を解説します。
イタリック文字の氏名の上に、カーソルを乗せると文字が赤色に変わります。


時期(西暦)
感化を受けた時期・径路・状況
「渡し場」に魅せられた人
1887~1890
ドイツ留学時(1887~1890年)
ウーラント原作「渡し場」を日本に紹介した元祖
1906~1913
新渡戸稲造 旧制一高校長時代
山岡望吉田源三、上田穣、<推定>太黒薫
1912~
新渡戸稲造著「世渡りの道」
大正元年(1912)10月 實業之日本社刊
    ~1945
終戦(1945)前、径路不明
1913
雑誌「少女の友」大正2年(1913)8月号掲載
北澤種一著「人の情」
猪間驥一、長谷川香子
1916~1978
山岡望(新渡戸稲造の弟子) 第六高等学校他
    ~1956
医学博士・病院長の某医師(推定:太黒薫)
1950
昭和25年(1950) 中大予科卒業間際
難波準平講師のドイツ語最終授業
1956
昭和31年(1956)9月13日付朝日新聞(東京版)「声」欄 猪間驥一の投書「老来五十年まぶたの詩」
1956
昭和31年(1956)10月7日発行「週刊朝日」記事
「詩 人生の『渡し場』 投書欄に咲いた心の花」
佐藤裕、按針亭管理人(中村稲岳)
〔担当記者:工藤宜〕
1956
雑誌「慈光」昭和31年(1956)10月号掲載
花田正夫著「心に映ることども」
1956
句会の師・及川仙石
1960~1964
猪間驥一 中央大学
1963
雑誌「文芸春秋」昭和38年(1963)5月号
274~280頁
「『渡し場の歌』物語 24行の詩に美しい曲がつくまで」
堀憂子
高山幸生(オドール・ハウスマンが原詩に作曲した譜面で歌える訳詩作成に協力した)
1973
昭和48年(1973)9月の朝日新聞(名古屋版)「声」欄への古田かね子の投書「「渡し場」の詩 教えて下さい」
池田敦子
〔担当記者:太田茂夫〕
1974
昭和49年(1974)3月30日にNHKラジオ第1放送「渡し場のメロディー」で、星野四郎が「渡し場」を介しての昭和31年(1956)以来の猪間驥一と桜丘高校(豊橋市)との交流を語り、ミーリッシュ作曲のメロディーが流された。
この放送録音を昭和51年(1976)4月19日
NHKラジオ第1「趣味の手帳」が再放送
1975
昭和50年(1975)7月22日付朝日新聞(東京版)「声」欄
鎌倉在住医師・佐藤裕の投書「思い出の歌によみがえりを」
これは、猪間驥一による昭和31年(1956)の投書から19年後であったが、反響が大きく広がり、朝日新聞(東京版)は同9月15日に「投書を追って」欄で「”心の詩に”親しめる新曲を」の見出しを付けて、反響の一端を紹介
アルテンドルフ、友松悦子、橋本昇
〔担当記者:永山三郎〕
1986
昭和61年(1986)4月1日付朝日新聞(東京版)夕刊掲載「こころ」欄の「ハレーと心の詩…余話」
〔担当記者:外村民彦〕
2003
経済学者としての存在が忘れられた感がある猪間驥一を調べる中で、2003年9月、猪間驥一著「人生の渡し場」を通じてウーラント原作「渡し場」に出会った
2004
北原文雄の平成16年(2004)10月刊 『向陵』42巻最終号に、”友を憶う詩「渡し場にて」をめぐって”と題した寄稿
2006
平成18年(2006)7月6日付朝日新聞(東京版)「窓」欄に、「渡しにはドラマがある」を掲載
この記事を契機に「ウーラント同窓会」が誕生
〔担当記者:高成田享
    ~1968
時期経路不明  ドイツ留学時の1968年頃か?
昭和48年(1973)9月の朝日新聞(名古屋版)「声」欄への古田かね子の投書に対し、ウーラントの生地に1年滞在時に得た貴重な情報を提供

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