友を想う詩! 渡し場
魅せられ語り継ぐ人々
朽津 耕三
新設:2012-11-16
更新:2022-10-31
ウーラント原作「渡し場」を語り継ぐ人々

略  歴
(くちつ こうぞう) 1927年(昭和2年)~2021年(令和3年)

東京都出身
昭和19年(1944) 東京高等師範学校附属中学校(旧制) 4年修了 旧制一高に入学
昭和23年(1948) 旧制第一高等学校卒業
昭和26年(1951) 東京大学(旧制)理学部化学科卒業
東京大学理学部大学院(旧制)、東京大学理学部助手、講師、助教授を経て
昭和44年(1969) 東京大学理学部教授 物理化学第三講座担当
昭和62年(1987)4月~昭和63年(1988)3月 東京大学理学部長・ 大学院理学系研究科長
昭和63年(1988)3月 停年で退職
昭和63年(1988)4月 長岡技術科学大学工学部教授 東京大学名誉教授
平成5年(1993)3月 同学を停年で退職、4月から名誉教授
平成5年(1993)4月~平成15年(2003)3月 城西大学理学部教授・のち客員教授
平成15年(2003)4月~東京農工大学(客員教授)
  令和3年(2021)3月23日 逝去(93歳)
専門分野 : 物理化学(分子構造と分子動力学)
現在は、特にこの分野での後進の指導と国際学術誌の編集、IUPAC(国際純正・応用化学連合)など学術交流関連の仕事に専念しているとのこと

昭和57年(1982)3月 日本化学会賞
昭和63年(1988)3月 東レ科学技術賞
平成4年(1922)11月 紫綬褒章
平成11年(1999)11月 勲二等瑞宝章

学生時代にバスケットボールをやって、特にチームのベストプレイヤーのシュートを助けたとき、ディフェンスでチームの危機を救ったときの楽しさが忘れられないとのことで、80歳を過ぎて後輩の人たちの研究上のシュートを助けることに専念しているとのこと

旧制一高時代に、寮の同室であった小柴昌俊(2002年ノーベル物理学賞受賞者)が東大物理学科に進むための特訓を、小柴から頼まれて引き受けたことでも知られる
語り継ぎの足跡-1
平成18年(2006)5月24日 志田忠正から山岡望について質問され、北原文雄の「向陵」42巻最終号掲載の ”友を憶う詩「渡し場にて」をめぐって”のコピーを提供

平成18年(2006)8月16日 プレスセンタービル内アラスカで開催された「第1回ウーラント同窓会」に出席

平成19年(2007)5月11日 学士会館で開催の「第2回ウーラント同窓会」に出席

平成19年(2007)6月13日 中部大学工学部理学教室の小林礼人に、旧制六高での山岡望教授の優れた人となりと山岡が恩師として傾倒した新渡戸稲造校長との出会いの逸話として、北原文雄の一高懇話会での講演内容が掲載された「向陵」の資料を送付

平成19年(2007)10月3日 Oxford 大学の Ms. Polly Lis から英語訳(Lawrence Snyder 英訳)を受領

平成20年(2008)10月4~5日 石巻で開催の「第3回ウーラント同窓会」に出席

平成23年(2011)3月20日 親友の水野丈夫から英訳詩(Ms. Sarah Austin 英訳)を受領

平成23年(2011)3月24日 長岡技術科学大学で丸山明好と面談、丸山は関連資料を同28日に受領

平成23年(2011)4月4日 南アフリカ在住のプレトリア大学化学科の教授 Dr. C. J. H. Schutte から折鶴のメッセージが届いた。20年前にドイツで開催された IUPAC で、Mrs. Schutte に折鶴などを友情の印として作り贈ったことが契機だった。

語り継ぎの足跡-2
長岡技術科学大学教授を務めていたとき(1988年9月15日)、化学科2年生の一人が自動車部の活動中に不慮の事故で急逝する痛ましい事件があった。当時の自動車部員の有志は、今でも毎年9月の祥月命日前後に新潟に集まって、亡くなった学生の家族を交えて冥福を祈り、旧交を温めているので、その時期に東京から、かならずメッセージを送っている。

平成5年(1993)3月29日発行の新潟日報「私も一言」欄に、「息子のいない卒業アルバム」と題した一文が載った。上記の不慮の事故で急逝した学生の母親からの投書であった。その内容を次のとおり紹介させていただく。


「卒業式には、絶対に出るからね」-あんなに約束したのに、息子が帰らぬ人となって、はや四年半。逆縁の身を嘆き、涙した葛藤(かっとう)の日々、友人の支えと日常の多忙の中で、悲しみは少しずつ和らぎはしたものの、心の傷は癒されることなく、夢を見ているような毎日です。

息子の残してくれた桜の木は、今年もまた、たくさんのつぼみを付け、天を仰いで春の陽光を待っております。桜の木が桃色に染まるころ、卒業証書を手にして、ひょっこり現れるような気がしてなりません。卒業の年を迎え、担任でいらっしゃった教授にごあいさつに出掛けました。息子が一年半の短い学生生活を送った大学、春遅いこの高台にも草木の芽吹きが感じられました。

折しも、その日は合格発表の日、六年前の息子の喜びが、あの笑顔が脳裏をかすめ、胸痛む思いでした。しかしながら、貴重な時間を私にくださった教授にお会いし、当時を振り返っていました時、私は教授の目に美しい涙が光るのを見ました。うれしかった。悲しみの涙がうれし涙に変わり、言葉になりませんでした。

その上、数日後、教授から卒業アルバムが郵送されてきました。息子の写真、名前も載ってはいませんが、不思議なくらいさわやかな心で、巣立ち行くクラスメートの笑顔を見ることができました。ありがとうございました。