按針亭
友を想う詩!
新設 : 2012-10-14
更新 : 2016-03-18
文語体訳詩(解説と吟詠)
小谷慈明
友を想う詩! ウーラント原作「渡し場」に 魅せられ語り継ぐ人々

    略  歴    

(こたに じみょう)  1928年(昭和3年)~

昭和3年(1928)12月19日 秋田県湯沢市で誕生

語り継ぎの足跡































昭和50年(1975)7月22日付朝日新聞(東京版)「声」欄に「思い出の歌によみがえりを」と題した鎌倉在住の医師・佐藤裕の投書が載った。このときは、猪間驥一による昭和31年(1956)の投書から19年後であったが、反響が大きく広がり、朝日新聞(東京版)は同9月15日に「投書を追って」欄で「”心の詩に”親しめる新曲を」の見出しを付けて、反響の一端を紹介した。その中に、小谷慈明の思いは次のとおり紹介された。

小谷慈明さん(湯沢市・農協職員、46)

私もかって、かってこの詩を読んで感動した。私は軍隊とは縁がなかったが、平和の尊さ、戦争の空しさがこの詩に見事、結晶されていると思う。今年も、原爆投下の日、私は草深い山あい小道で、ウーラントの詩を口にしていた。願わくば、私たちでもっと親しめる曲ができないものだろうか。一編の詩を追った酷暑の八月の収穫は、私にとって実にさわやかであった。

小谷慈明は、昭和50年(1975)7月22日付朝日新聞(東京版)「声」欄に「思い出の歌によみがえりを」と題した鎌倉在住の医師・佐藤裕の投書を読んだ直後から、朝日新聞記者・永山三郎を介して、あるいは直接、主に、鎌倉の投書者・佐藤裕をはじめ、山岡望、花田正夫との相互間で「渡し場」関連情報・資料の提供交換を行う外、求められて堀憂子、友永悦子らへの資料提供を含め、「渡し場」関連情報の密な交換が昭和53年(1978)8月までの約3年間の続いた。

昭和51年(1976)6月9日、小谷慈明が朝日新聞(東京版)「声」欄に丸山明好の住所を照会し、永山三郎(朝日新聞記者)が丸山明好に電話にて小谷慈明宛に「幻の譜」を送って欲しいと依頼した。同年6月13日、丸山明好は小谷慈明に手持ち資料を送った。

小谷慈明は、昭和50年(1975)9月15日、朝日新聞(東京版)に永山三郎が「投書を追って」欄に「心の詩に親しめる新曲を」と題して反響を掲載した折に、丸山明好、アルテンドルフらと共に、その思いが紹介された一人であったこともあってか、丸山明好との交流が現在まで続いている。

平成18年(2006)7月6日付朝日新聞(東京版)「窓 論説委員室から」欄に、『「渡し」にはドラマがある』を高成田享が執筆掲載したのが契機となり、朝日新聞の「窓」が媒介となった「絆」を深めるため、「第1回ウーラント同窓会」を平成18年(2006)年8月16日にプレスセンタービル内「アラスカ」で開催し、北原文雄、朽津耕三、小出健、小谷慈明、志田忠正、松田昌幸、丸山明好、高成田享が出席した。

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