友を想う詩! 渡し場
魅せられ語り継ぐ人々
古田 かね子
新設:2012-10-17
更新:2022-10-31
ウーラント原作「渡し場」を語り継ぐ人々

略  歴
(ふるた かねこ)

語り継ぎの足跡-1
昭和31年(1956)9月13日付朝日新聞(東京版)「声」欄の猪間驥一の投書に感銘する。
古田かね子は、昭和48年(1973)9月12日付朝日新聞(名古屋版)「声」欄で、次のように呼びかけた。

「渡し場」の詩 教えて下さい

関市 古田かね子  (主婦 57歳)

もう十年余も前のこと、「声」欄に「渡し場」の詩について知りたいと、という投書が載ったことがあります。

それは、ある日、一人の老人が渡し舟で川を越えた。あたりの風景が昔のままであるのに、むかし一緒に渡し舟に乗った友は亡く、ひとりでさまざまな思い出にふけりながら川を越え、舟を降りる時、亡友と一緒のつもりだ、と渡し賃を倍額払った、という詩で、これはどこの国のだれの詩であろうか、と問われたのでした。

反響は大きく、多くの投書が寄せられ、私もその記事を切り抜いたのですが、整理中にその切り抜きをなくしてしまったのです。ドイツの詩人、ルードイッヒ・ウーラントが、ラインの支流ネッケル川を渡った時の渡江吟だったようなうろ覚えで、私はこの詩をもう一度確かめたいのです。

本欄で、改めてこの詩を教えてもらうわけにはまいりませぬか。

解  説
本投書(呼びかけ)は、朝日新聞(名古屋版)購読者に大きな反響をもたらし、昭和48年(1973)9月15日付朝日新聞(名古屋版)は「今週の声から」欄で『反響を呼んだ友情の詩「渡し場」』のタイトルで特集を組み、星野四郎加藤てい早崎守俊らの投稿を紹介した。

このうち、星野四郎からの投稿は、半年後の昭和49年(1974)3月30日にNHKラジオ第1が「渡し場のメロディー」と題した番組で、星野四郎にウーラント作「渡し場」を介しての昭和31年(1956)以来の猪間驥一と桜丘高校(豊橋市)との交流を語らせ、猪間驥一の情熱が生みだした一般ドイツ人・ミーリッシュ作曲のメロディーが流された。

さらに、2年後の昭和51年(1976)4月19日には「趣味の時間」で再放送が行われた。この再放送は、後に、いろいろの経緯を経て、カール・レーヴェ作曲「渡し場」を、声楽家・佐藤征一郎による日本で初めて原詩独唱披露をもたらし、「渡し場」のさらなる広がりにつながったことを思うと、大きな価値があったといえる。

詳細は、本サイト内の 『「渡し場」の楽譜を求めての旅路』 を参照していただきたい。